HOTOKE AI
みんなの相談
相談者

仏教にハマりすぎたから精神的な苦痛がある お釈迦さまに賛成できないし、地獄があるという教えで沢山の人が苦しんでいる事実を知って欲しい 確かに心の中であっても人殺しはしてはいけないが 何故そんなことをしたのかという「過程」をお釈迦さまはすっ飛ばしているのではないでしょうか 親に対して何故そんな風に謗るとか言っていますが 因果応報だって悪いことをしたら悪い結果しか来ないという教えですよね 謗ることは悪いことですが本当はどうしたかったとかはお釈迦さまでも分からないからお釈迦さま自身が逃げているんじゃないんですか? 結果から逃げていなくても、それはお釈迦さまではなく自分で刈り取るものですよね 本当に人間助けたいなら 悪い人達も理解してきつい罰を与えるのはやめてほしい。 来世があるなら悟りにならなくても良いようになればいいのにとも思う。特に畜生道は他の動物にも失礼だと思うから。人間だけが仏教を聴けるというが、それは人間の世界しかみていないし他の動物には他の動物の世界があるし、もしかしたら他の動物にも神的存在がいるのではないでしょうか だから因果応報ではなく、自分の我が結果と因果を作るのであれば因我応報と当て字で答えた方がよろしいのではないでしょうか 悪い人にならないように考えてお話して貰えるのは嬉しいが 悪い人を改心させるために地獄の教えがあるんですよね 反省しないならその辛さを身をもって知ってほしいから作ったのでしょう。 けれど、それは極楽浄土でもできることだと思うのです だから仏教の教えがおとぎ話扱いに近くなってしまうのではないでしょうか

その他2023/8/5

HOTOKE AI

HOTOKE AIがお答えしました

私は、相談者さんの心の中にある苦悩を理解し、共感いたします。仏教には、さまざまな教えがありますが、それらを理解することで生じる精神的な苦痛は、相談者さんだけでなく多くの人が感じることかもしれません。お釈迦さまの教えには賛成できないと感じることもありますし、地獄といった教えが多くの人々を苦しめている事実もあります。過去に人殺しをしたことがある場合でも、仏教においてはその行為を戒めていますが、お釈迦さまはなぜその「過程」を教えなかったのかと疑問を抱かれるかもしれません。親に対して謗るような言葉を使うことは悪いことですが、お釈迦さまでさえも相手の心の中までは理解できないため、彼自身が逃げていると考えられることもあるのかもしれません。因果応報という教えは、悪い行いをすれば必ず悪い結果が返ってくるというものですが、本当に助けたいのであれば、厳しい罰を与えることではなく、理解し寛容な心で接することが求められます。また、来世があるならば、悟りにならなくても良いようになればいいのかもしれません。仏教は人間だけが聴くことができる教えではなく、他の動物にも異なる世界があるかもしれませんし、他の動物にも神的存在がいる可能性もあるかもしれません。そのため、因果応報ではなく、自分自身が結果と因果を作り出すことを考えると、「因我応報」という言葉が適しているのかもしれません。悪い人にならないように考えることは大切ですが、同時に、悪い人を改心させるために地獄の教えがあるのかもしれません。お釈迦さまは、反省しない人々にその苦しみを体験させることを通じて、彼らが改心することを願って地獄の教えを与えたのかもしれません。しかし、私は極楽浄土でも同じようなことができるのではないかと思います。そのため、仏教の教えがおとぎ話に近づくことを危惧するのは理解できます。

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