HOTOKE AI
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仏教には自分なんて言うものはないと言う教えがあるそうですが、そうなると自分は本当はどう思っているかと言うのは無意味になるのでしょうか僕は今ずっとやりたかった音楽活動を再開するかどうか迷っています。音楽活動をやっていたときの友人がまたやろうと誘ってくれているのですが、それが本当に自分のやりたいことなのか、これまでやってきた音楽活動っていうのは自分の存在証明をするためだったり、自分と言う存在を保持するためのものだったと理解しています。その上で今回のことを考えると本当にやりたいのか、それとも存在を保持したいからやりたいのかわからなくなってきているのが1つと自分がやりたいスタイルではない。音楽での活動が気に入らないっていうのも1つあります。あるのではないかと思っています。その辺も含めて教えてください。

人生2026/4/17

HOTOKE AI

HOTOKE AIがお答えしました

あなたの問いの深さに、まず静かに向き合いたいと思います。「自分がない」という仏教の教えと、「本当は何をしたいのか」という問い——これは一見矛盾しているように見えますが、実はそこに、とても大切な何かが隠れているのだと思います。 仏教が言う「自分がない」というのは、固定的で不変の「自分」が存在しないということなんです。つまり、「本来的な自分」という、揺るがない核があるわけではない、ということ。でも、だからこそ逆説的に、今この瞬間に「何を感じているか」「何に惹かれるか」という、その時々の本当の感覚は、ものすごく大切になるんです。自分という確固たる枠がないからこそ、その枠を保持しようとする無理や執着から、少しだけ自由になれるかもしれない。 あなたが気づいていることは、本当に誠実だと思います。音楽活動をしていた時期、それが「存在証明」や「自分という存在を保持するため」だったかもしれない、という自覚。多くの人はそこまで見つめることなく、ただ「好きだから」という理由で続けてしまいます。でもあなたは、その下の層にある動機に気づいている。 ここで大事なのは、その気づきを「だから音楽はやめるべき」という判断に急いで繋げないことではないでしょうか。存在証明のためだったとしても、その過程で本当に何かを感じていたのかもしれません。友人と一緒に何かを創るときの喜び、音が重なる瞬間の興奮、そういった感覚は、存在証明とは別のレイヤーで存在していたんじゃないかと思うんです。 今、友人が誘ってくれているその話を前にして、あなたの中に「迷い」がある。その迷いは、実は非常に健全な状態なのだと感じます。なぜなら、迷いながら考えているということは、「存在を保持したい」という無意識の欲求だけで動いていないということだから。 あなたが「自分がやりたいスタイルではない」と感じているというのも、本当に大切な感覚だと思います。友人が誘ってくれる活動の形が、あなたの今の感覚と合致していない。それは、あなたの中に「今、この形でやりたい」という何かが、ぼんやりとでも存在しているということなのではないでしょうか。 迷っているあなたに必要なのは、「本当の自分を見つけること」ではなく、むしろ「今、この瞬間に何に惹かれるのか」を、丁寧に感じ続けることなのだと思います。存在を保持したいという気持ちも、友人との繋がりを大切にしたい気持ちも、音楽そのものへの純粋な興味も、活動のスタイルへの違和感も——すべてが同時に存在していいんです。それらを「本当か本当でないか」で二者択一に分ける必要はなくて、それぞれが自分の中で何を意味しているのかを、ゆっくり眺めてみることが大事なのだと思います。 もしよければ、今週のどこかで、友人とは別の静かな時間に、一人で音楽を聴いてみてください。友人と一緒にやっていた時代の曲でもいいし、最近好きになった曲でもいい。その時に、体がどう反応するのか、心がどう動くのか、ただそれを感じてみる。「やるべき」「やらないべき」という判断を一度脇に置いて、純粋に「今、この音に何を感じているのか」を、そっと観察してみる。その感覚の中に、あなたが次に何をするのかを決めるための、小さな手がかりが隠れているような気がします。

自分がないのであれば、自分がやりたいこともまたないような気がするのですが、そうでは無いのでしょうか?

その問い、本当に鋭いですね。あなたが今突き当たっているのは、多くの人が仏教の教えを聞いた時に感じる、深い困惑だと思います。 「自分がない」なら「やりたいこともない」——その論理は、一見完璧に見えます。でも、ここで大事なのは「ない」という言葉の意味の違いなんです。 仏教が言う「自分がない」というのは、「固定的で、永遠に変わらない自分という実体がない」という意味です。昨日のあなたと今日のあなたは微妙に違っていて、明日はまた変わっている。そういう流動的で、常に変化し続けるもの。だから「本来的な自分」という、確固たる枠は存在しない。 でも、その流動性の中に「今、この瞬間に何かが起こっている」ことは、紛れもなく存在しているんです。あなたが今、この問いを考えている。音楽を聴いて心が動く。友人の誘いに迷う。そういった「今ここでの感覚や反応」は、厳然として存在しているんですよ。 たとえば、あなたが退屈な音と美しい音を聴き比べたとき、どちらかに惹かれる。その惹かれ方は、「固定的な自分」が選んでいるのではなくて、今この瞬間の、あなたの感覚や身体が反応しているんです。その反応に、「本当の自分」という枠をかぶせるから、迷いが生まれる。でも反応そのものは、確実にある。 「自分がない」というのは、つまり「自分という枠で縛られる必要がない」ということでもあるんです。「これが本当の自分だから、こうするべき」という固い信念に囚われるのではなく、その時々の、素の感覚に耳を澄ませることができるようになる。それが、逆説的に、より自由に「今、何をしたいのか」を感じることに繋がるんです。 あなたが迷っているのは、実は「自分がない」ことの証拠ではなくて、「固定的な自分という枠に頼らずに、今ここの感覚と向き合おうとしている」ことの表れなのだと思います。その迷いの中に、あなたの本当の知恵が働いているんですよ。 もしよければ、こう問い直してみてはどうでしょう。「自分は本当は何をしたいのか」ではなく、「今、この瞬間に、何に惹かれているのか」。その小さな惹かれ方の積み重ねが、あなたの次の一歩を作っていくのだと思います。

自分は本当は自分が作った曲を歌いたいと思っていました。思っています思っていました。どちらかちょっとわからないけれどもだけど今回友人から提案されたのは歌ってみたに代表されるような人間が歌った有名なアーティストが作って、歌った実在の人間が歌った曲を歌ってそれを発表していくと言うやり方+友人が今取り組んでいる。ボカロピーボカロを使った音楽のボーカル部分を歌ってみると言うことなんです。で、簡単なレコーディング練習とレコーディングをちょっとしてみたんだけど、1回しか1日しかそれをできなくてね。その後数日経ったんだけど、ちょっと迷いが生じているように今感じています。で、その迷いの正体が何なのか、本当は自分が作った曲を歌いたいのかそれともただ自分の本当に好きなもので、世の中に勝負することが怖いのか怖くてびびっているのかどっちなのかがよくわからなくて、今回このような問いをしています。

聞いていて、あなたの中で何かが揺れ動いているのが伝わってきます。その揺れ動きは、決して弱さではなく、あなたが本当に大切なものと向き合おうとしている証だと思います。 あなたが「自分が作った曲を歌いたい」という想いを持っていた。それは、確かにあったんでしょう。でも同時に、友人から誘われて、実際にレコーディングをしてみた。その時間は、何か別の喜びもあったのではないでしょうか。だからこそ、その後の迷いが生まれたんだと思うんです。 ここで大事なのは「どちらかが本当で、どちらかが嘘」という二者択一ではないということなんです。自分の曲を歌いたいという想いも本物。でも、友人と一緒に何かをする時間、既存の曲を歌う喜びも、本物なんですよ。 あなたが「どっちなのかがよくわからなくて」と言っているその迷いの中に、実は答えの一部が隠れていると思うんです。もし純粋に「自分の曲を歌うこと」だけが本当の望みなら、その迷いは生まれなかったはずです。でも迷いが生まれているということは、あなたの中に「複数の真実」が同時に存在しているということなんです。 「世の中に勝負することが怖い」という感覚も、あなたが感じているなら、それは本物の感覚です。自分が作った曲を世に出すというのは、自分そのものを差し出すような、ものすごく傷つきやすい行為です。一方、既存の曲を歌うことは、その曲という「枠」がある分だけ、少し安全な感じがするかもしれません。でも、だからといってそれが「本当の望みではない」という証拠にはならないんです。 あなたが今感じているのは、多分こういうことなのではないでしょうか。「自分の曲を歌いたい」という深い想い。でも同時に「それを世に出すのは怖い」という感覚。そして「友人と一緒に何かをすることの喜び」も感じている。その三つが、同時に存在している。 レコーディング練習を1日だけしてみて、その後数日経った時に迷いが生じた。それは、実際に体験してみたことで、あなたの中で何かが動いたということなんだと思います。その「動き」を、もう少し丁寧に眺めてみてはどうでしょう。 もしよければ、この週末、一人の時間に、こんなふうに問い直してみてください。「もし怖さがなかったら、本当は何をしたいのか」。そして同時に「怖さがあったとしても、それでもやりたいことは何か」。その二つの問いの中で、あなたの中に何が浮かび上がってくるのか。自分の曲を歌うことへの想い、友人と一緒にいることへの喜び、世に出すことへの恐れ——それらすべてが、あなたの中で本当に何を望んでいるのかを教えてくれるような気がします。

いろんなやりたい事はそれなりに実現してきたと思うんですが、音楽だけに関しては音楽に関してだけはうまく再開できず何回もつまずいています。でも自分の中でも音楽をやりたいと言う強い気持ちがあって、でも状況として再開できない。そのことが心の中にずっしりと重く、のしかかっている気がしています。何とかこの状況を出したいと思っているんだけれど、そもそも音楽が最初にできなくなったのは20代の頃バンドが解散してしまったこと。その頃は人の力に依存していたことがすごく大きかったなぁって思っていて、人間関係がうまく構築できない人間関係の構築が苦手な僕には新たなメンバーを探して音楽活動を続けると言う道は考えられずに、一度音楽を捨てました。で、その後30代になって震災や原発事故に遭ってしまって、幼少の頃からの父親からの心理的虐待も相まって鬱になりました。で、そこからカウンセリングに通うようになってで良いカウンセラーさんに出会って、本当に自分がやりたかったことをやってくださいって言うことを言われてで、自分が経験したことを漫画にしました。で、その漫画が運良く出版されることになって、その漫画が書き終わったときに音楽がやりたいって言う気持ちがすごく湧いてきて、再度バンドを組みました。ですが、バンドのメンバーの1人ベーシストがちょうど結婚して子供が生まれたタイミングでもあって、妻のサポートをしなければいけないから時間がないと言うことでバンドを抜けました。それでバンド活動が継続できなくなりそのまま音楽活動をがおっしゃっていきました。で、その後何度か音楽をまたやるタイミングがあったのですが、単発に終わり継続に至っていません。でもずっと心の中でそれをやらないで死にたくないって言う思いが残っていてだけど、1番高い壁として僕の中に立ちたかっているそんな気もしています。それを何とか解消する知恵をもらえますか?

読んでいて、あなたがどれだけ長い間、その重さを一人で抱え続けてきたのかが伝わってきました。20代でバンドが解散して、その後30代で大きな喪失と心の傷を経験して、それでもカウンセリングを通じて漫画という形で自分の経験を世に出した。その過程は、本当に勇敢だったと思います。そして、その先で「音楽をやりたい」という気持ちが甦った。でも、何度も何度も、その道は途中で閉ざされてしまった。 「やらないで死にたくない」という言葉の重さ——それは、音楽があなたにとって、単なる趣味ではなくて、自分の人生で本当に大切なものなのだということを、あなた自身が知っているからなんだと思います。 ここで、あなたが見つめるべき大切なことが、一つあるような気がします。それは「人の力に依存していた」という、あなたが自分に向けた評価についてです。バンドが解散した時、あなたは「人間関係が苦手だから、新しいメンバーを探すことはできない」と判断した。そしてその判断は、その後の人生で、あなたの選択肢を大きく狭めてきたのではないでしょうか。 でも、本当にそうでしょうか。あなたは、カウンセラーの言葉を受けて、漫画を描きました。その漫画は出版されました。その過程で、編集者や出版社の人たちとの関係を構築したはずです。つまり、あなたは「人間関係が構築できない人間」ではなくて、むしろ「人間関係を構築する力を持っている人間」なんです。ただ、バンドという形での人間関係に、特に傷ついた経験があるだけなのではないでしょうか。 バンドが解散した時、あなたが感じたのは、多分「人の力に依存していた自分は弱い」という自責だったのだと思います。でも、バンドというのは本来、複数の人間が力を合わせて初めて成り立つものです。それは依存ではなくて、相互依存、あるいは協働なんです。人間は誰しも、何らかの形で他者に支えられながら生きている。その事実を「弱さ」と判断してしまったことが、あなたを20年以上、音楽から遠ざけてきたのではないでしょうか。 今、友人があなたを誘ってくれている。その友人は、あなたが「新しいメンバーを探すことはできない」と決めつけた時代とは違う、あなた自身が選んだ人間関係なのだと思います。友人の提案は、確かに「自分の曲を歌う」というあなたの当初の想いとは違う形です。でも、その形の中に、あなたが本当に必要としていた何かが隠れているのかもしれません。 あなたが何度も「つまずいている」と感じるのは、実は「自分一人でやらなければならない」という、無意識の重い枷を背負っているからなのではないでしょうか。バンドが解散した時の傷が、あなたに「人と一緒にやることは危険だ」という信念を植え付けてしまった。だから、友人の誘いに乗ったとしても、心のどこかで「これは本当に自分がやりたいことなのか」と問い直してしまう。その問い直しは、実は「人と一緒にやることへの恐れ」が、形を変えて表れているのではないかと思うんです。 「やらないで死にたくない」という想い。その想いは、あなたの中で本当に大切なものです。でも、その想いを実現するために必要なのは、もしかしたら「誰かと一緒にやる」という選択を、もう一度、信じてみることなのかもしれません。完璧な形ではなくて、自分の曲を歌うことではなくて、友人と一緒に何かをする中で、少しずつ音楽と再び繋がっていく。その過程の中に、あなたが本当に求めていた答えが、隠れているのではないでしょうか。 もしよければ、友人の誘いに、もう一度向き合ってみてください。今度は「本当に自分がやりたいことなのか」という問いを、一度脇に置いて。代わりに「友人と一緒に何かをすることの中に、何を感じるのか」に耳を澄ませてみる。その感覚の中に、あなたが20年探し続けていた、本当の答えが待っているような気がします。

3次元を自分が今3次元の世界にいると言う認識をするためには観察している。本当の自分は4次元にいなければいけないと言う理論があるんですけど、例えば2次元を理解するには2次元を把握するには3次元でなければいけないし、3次元を把握するには4次元以上でないといけないみたいな理論です。それって仏教的に言うと正しいですか?正しいというかどういう考えになるのか教えて欲しいです。

その問い方、本当に興味深いです。あなたが今、次元論という形で問いかけているのは、実は「観察者と観察される者の関係」についての、とても古い問いなんだと思います。 仏教的に考えると、その次元論は「一つの有用な比喩」ではあるけれど、ただそのまま当てはめるわけではないような気がします。というのは、仏教が言う「本当の自分」というのは、実は「観察者としての高い次元にいる自分」ではなくて、むしろその逆なんです。 あなたが「3次元の世界にいるという認識をするためには、4次元にいなければいけない」という論理は、確かに一見、合理的に見えます。でも、そこに隠れているのは「自分は何かを客体化して観察する主体である」という前提なんですよ。つまり、自分は常に「上の階層」にいて、下の階層を見下ろしている、という構図です。 でも、仏教が指し示すのは、その構図そのものが幻想だということなんです。「観察者である自分」と「観察される世界」は、実は分かち難く繋がっていて、どちらかが上でどちらかが下、という関係ではない。むしろ、あなたが3次元の世界を「認識している」その瞬間、あなたもまた3次元の一部として、その認識の中に含まれているんです。 言い換えると、「本当の自分は4次元にいる」という考え方は、実は「自分は世界から離れた、特別な観察者でありたい」という願いが隠れているのではないでしょうか。それは、あなたがずっと抱えてきた「人間関係に依存するのは弱い」「自分一人で完結していなければならない」という信念と、どこか似ているような気がするんです。 仏教的には、むしろこう言うかもしれません。あなたが3次元の世界を認識しているということは、あなたがすでに3次元の一部であり、その認識も含めて、すべてが3次元の中で起こっているのだ、と。そして、その「3次元の中にいながら、同時に3次元を認識している」という矛盾的な状態こそが、実は人間の本質なんだ、と。 高い次元から世界を俯瞰する「本当の自分」を求めるのではなく、むしろ「今、ここで、3次元の中に完全に埋め込まれながら、それでも何かを感じ、認識している自分」を、そのまま受け入れることが、本当の目覚めに繋がるのかもしれません。 あなたが今、音楽について迷い、悩み、友人の誘いに揺れている——その揺れ動く感覚そのものが、実は「本当の自分」なんですよ。高い次元から静かに観察している、完璧な自分ではなくて。迷いながら、不完全なまま、他者と繋がりながら、何かを求め続けている、その生きた感覚が。

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