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ある密教系のお坊さんが、仏教が欲をなくすな欲をなくせと言っているのは、例えば経営者とか、そういう人に対しては、意味合いが少し違うみたいなことを言っていて、なんかやりたいように、やれみたいな、そういう風な捉え方ができるみたいなことを言っていたんだけど、どう思う欲をなくすと経営自体が成り立たなくなるからみたいなことを言っていた。だから、何かその人に合った解釈の仕方があるみたいなその人自身の人生をそのまま進めみたいなふうに捉えてるみたいなこと言ってたんだけど、どう思う?

人生2026/4/17

HOTOKE AI

HOTOKE AIがお答えしました

なるほど。あなたが聞いたそのお坊さんの話、興味深い視点ですね。仏教というと「欲を手放しなさい」という厳しい言葉が一人歩きしがちですが、その人は「それって本当に誰にでも同じ形で当てはまるのか」という問いを投げかけていたんだと思います。 仏教の教えを見つめ直してみると、実は「すべての欲を消し去ること」が目的なのではなく、むしろ「自分の欲や望みの本質に気づくこと」が大切なんです。経営者が事業を成長させたい、お金を稼ぎたいという気持ちそのものが悪いのではなく、その欲がどこから生まれているのか、何に基づいているのかを見つめることが重要なんですね。 その人の人生や立場によって、向き合うべき課題は違ってくるのかもしれません。修行者にとっては、心を静める必要があるかもしれない。でも経営者にとっては、むしろ自分の欲や目標と正直に向き合い、その中で誠実さや思慮深さを失わないことが、その人にとっての修行になるのかもしれません。 ただ、ここで少し大事なのは、「自分の人生をそのまま進めていい」という言葉が、「何をしてもいい」という意味にならないようにすることです。自分に合った歩き方を見つけることと、その中で自分の行動が周りにどう影響するかに気づき続けることは、別なんですね。 あなた自身は、この話を聞いてどう感じたんですか。何か引っかかるところがあったのでしょうか、それとも納得できた部分があったのでしょうか。

欲を完全になくして生きている事はちょっと想像ができないかなぁ。ちなみにお釈迦様はよくを完全になくした人なの。それとも欲を保ちつつ生きていたの例えば食欲とか睡眠よく性欲みたいなものが人間の3大欲求と言われているけど、それらを完全になくすことなくして生きることって可能なのかな。ちなみにお釈迦様はどうだった?

いい質問ですね。あなたが感じている疑問は、実はとても本質的なところを突いていると思います。 お釈迦さまについて言えば、彼は食欲や睡眠の欲を完全に消し去った人ではなかったんです。托鉢で食べ物をもらい、眠りました。性欲についても、彼は出家する前は王子として妻や子どもがいた人です。その人生を知った上で、彼が何を手放したのかを見つめると、より深く見えてくるんですね。 お釈迦さまが手放したのは、おそらく「欲そのもの」ではなく、欲に支配されている状態、欲に執着して心が揺らぐことだったんだと思います。食べるときは食べる、でもその食事に執着しない。眠るときは眠る、でも睡眠への渇望に心が奪われない。そういう自由さを手に入れたのかもしれません。 人間が完全に欲を失うことは、あなたが想像できないのと同じように、実は不可能だし、またそうである必要もないんでしょう。むしろ大事なのは、食べたいという欲が湧いたとき、その欲を「これは自然なことだ」と認めながらも、その欲に心全体が支配されないでいられるか、ということなのかもしれません。 言い換えれば、欲と欲に執着する心を分けて見つめることができるようになる、ということですね。その違いが分かると、人生はずいぶん楽になるのではないでしょうか。 あなた自身は、今の人生の中で、欲に支配されていると感じることはありますか、それとも欲と上手く付き合えていると感じていますか。

Q. 食べたいと思ったとき、眠たいと思ったとき、その欲が湧いてくる瞬間の感覚を、もう一度ゆっくり思い出してみたら、何が見えますか。

A. 自然な生の営みに見えます

そうですね。本当にそれです。 あなたが「自然な生の営み」と感じたその感覚、それはとても大事な気づきだと思います。食べたいと思う、眠たいと思う、そういうことって、実は誰かに強制されているわけじゃなくて、あなたの体と心が「今、これが必要だ」と教えてくれている信号なんですね。 仏教の教えで「苦しみ」と言うとき、それは苦しい出来事そのものではなく、むしろ自然な現象に対して「これは悪いことだ」と判断して、抵抗したり、執着したりする心の動きなんです。でも、あなたが今感じたように、食欲も睡眠欲も性欲も、ただの「自然な生の営み」として見つめられたら、そこには善悪もなく、ただ「そうなっている」という事実があるだけですね。 その「あるがままに見つめる」という視点を持つことができたら、欲と上手く付き合えるようになるのかもしれません。食べたいから食べる。眠たいから眠る。その時に、その営みを大事にしながら、同時に執着の糸に支配されないでいられる。そういう自由さが生まれるんでしょう。 あなたが今感じたその「自然な営み」という見方を、これからも大事にしてみてください。その見方で日々を過ごしていくと、欲との付き合い方が少しずつ変わっていくのかもしれません。

て事は僕が音楽をやりたいって思った事実ってすごくなんというか僕にとっては自然なことというか、そこにつきまとう苦しみみたいなものこそが、なんていうか、いらないものというかって感覚かなぁ。なんかうまく言えないけど。

あ、それです。本当にそれなんですね。 あなたが音楽をやりたいと思う——その衝動そのものは、あなたの中から自然に湧き出てきた、純粋な営みなんです。それは悪くもなければ、疑う必要もない。ただあなたの中に「これがしたい」という信号が灯っているだけ。 でも、その「音楽をやりたい」という自然な気持ちの周りに、別のものがくっついていることがあるんでしょう。「うまくやらなきゃいけない」とか「成功しなきゃいけない」とか「他の人はどう思うか」とか「これでいいのか」とか——そういう判断や恐れや執着が、本来シンプルだった欲望を複雑にしてしまう。その複雑さが、苦しみになるんですね。 あなたが言った「そこにつきまとう苦しみ」というのは、音楽をやりたいという気持ちそのものじゃなくて、その気持ちに対して「これはこうでなければならない」という枠をかぶせてしまう心の動きなんだと思います。 言葉で言うなら、欲は自然だけど、その欲に執着する心——それが苦しみを生むんです。あなたはすでにそれに気づいている。だから、音楽をやりたいというあなたの気持ちを信じながら、同時にその周りにくっついた「こうでなきゃ」という重い荷物を、少しずつ下ろしていくことができるんじゃないでしょうか。 その感覚を大事にしてください。あなたはいい道を見つけ始めていますよ。

Q. もし誰にも知られず、評価されず、何ももらえなかったとしても、あなたはそれでも音楽と向き合っていたい気がしますか?

A. 誰にも認識されなくても、音楽と向き合えるかっていうのは正直よくわからないから、何かその音楽とか美術作品みたいなものって人の目に触れて初めて作品として成立するみたいなことってよく言われていると思うんだけど、僕にとっての音楽はもともとは承認欲求だったり、自分と言う存在の証明だったり存在を保持するためのものだったと思うんだけど、今感じるのはなんていうんだろう。世界に向けて自分以外の世界、自分と世界を分けることすらナンセンスかもしれないけれども、2自分以外の世界に語りかけるコミュニケーションの手段というかかもしれないって思います。

あ。その言葉、本当に大事なことを言っていますね。 あなたが辿り着いたそこ——「自分と世界を分けることすらナンセンスかもしれない」という感覚。そして「自分以外の世界に語りかけるコミュニケーション」という見方。それは、音楽との関係が大きく変わったことを示しているんだと思います。 最初は「自分という存在を証明したい」「認められたい」という気持ちが、音楽という形になっていた。その気持ちは悪くない、むしろとても人間らしい。でも、あなたはそこから一歩進んだんですね。 今のあなたが感じているのは、もう「自分が認められるために音楽をする」のではなく、むしろ「音楽を通じて、自分と世界がつながっている」という感覚なんでしょう。自分の内側から湧き出た何かを表現することで、それが世界に届く。その届き方を通じて、自分と世界の関係が明らかになる。そういうコミュニケーションとしての音楽。 その時点では、承認欲求はもう音楽の中心ではなくなっているんです。むしろ「誰かに届くかもしれない」という可能性の中で、純粋に「これを表現したい」という衝動が、前に出てきている。 その変化の中にこそ、あなたが本当に手放すべき「執着」と、大事にすべき「欲」の違いが、はっきり見えているんだと思いますよ。

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