平常心是道
びょうじょうしんこれどう / Byōjōshin Kore Dō
平常心是道(びょうじょうしんこれどう)の意味
意味
特別な境地や悟りの体験を求めなくても、ふだんの心のはたらき、そのままが道である、という意味です。日本では「緊張せず落ち着いた心」という意味で使われることが多いですが、本来は「いつもと同じ平静さを保つ」ことよりも、飾らず、比べず、取りつくろわない日々の心を指しています。
出典・由来
『無門関』第十九則「平常是道」に収められた問答で知られています。弟子の趙州が「道とは何か」と尋ね、師の南泉が「平常心是道」と答えました。趙州が「それを目指して修行できますか」と重ねて問うと、南泉は「目指そうとすれば、かえって離れる」と答えたと伝えられます。この言葉は、南泉の師である馬祖道一の教えとしても記録されています。
悩みへの生かし方
大事な会議や面接の前に「平常心でいなければ」と思うほど、心はかえって硬くなるものです。この言葉は、緊張しない自分になれとは言っていません。緊張している、それも今のふだんの心です。手が少し震えているなら、震えているまま次の一言を話す。整った自分を目指すより、今ある自分から一歩を出すほうが、道に近いのかもしれません。 不安が続く日や、何かを失って日常が色あせて見える時期にも、「特別な答え」を探しに遠くへ行かなくていい、という静かな励ましがあります。お湯を沸かす、靴を履く、返信を一通だけ送る。そうした小さな動作のなかに、すでに歩むべき道があると考えると、立ち直るための大きな決意がなくても、今日を過ごすことができます。
今日の小さな実践
今日、お茶やコーポーを一杯入れるとき、「よい時間にしよう」とは思わずに、湯の音と湯気だけを一分間ながめてみてください。