修証一等
しゅしょういっとう / Shushō Ittō
修証一等(しゅしょういっとう)の意味
意味
修行(修)と悟り(証)は別々のものではなく、ひとつである、という意味です。悟るために修行するのではなく、修行しているそのすがたに、すでに悟りがあらわれている、と道元は説きました。
出典・由来
道元が寛喜3年(1231年)に著した『弁道話』に見える言葉です。「仏法には修証これ一等なり」とあり、続けて「初心の弁道すなはち本証の全体なり」と述べられています。修行を悟りに至るための手段と考える見方を、道元ははっきりと退けました。
悩みへの生かし方
私たちはつい、今の努力を「いつか報われるための準備」と考えがちです。資格が取れたら、昇進したら、結果が出たら、そのときやっと意味が生まれる。そう思っていると、今日の仕事や勉強はいつまでも途中の時間のままで、心は先へ先へと急かされてしまいます。 修証一等は、その順番をそっとほどいてくれます。丁寧に書いた一通のメール、集中して読んだ一ページ、誰かのために淹れた一杯のお茶。それは何かの手段である前に、それ自体ですでに満ちた営みです。結果を手放せという話ではありません。ただ、結果が出るまで今日を「まだ足りない日」にしなくていい、ということです。
今日の小さな実践
今日いちばん面倒に感じている作業を一つ選び、最初の1分だけ、終わったあとのことを考えずにその手の動きだけに注意を向けてみてください。